石段の早朝散歩と高根展望台からの眺め――夏の伊香保・榛名 その四 | 楽土慢遊

石段の早朝散歩と高根展望台からの眺め――夏の伊香保・榛名 その四

所在地:
[伊香保温泉 丸本館] 群馬県渋川市伊香保町伊香保48番地
交 通:
上越線・渋川駅から関越交通バス30分、伊香保温泉バス停下車

2013年7月14日(日):晴れ:伊香保温泉丸本館→石段散策→伊香保神社→丸本館→(タクシー)→高根展望台

■(夏の伊香保・榛名 その三からのつづき)伊香保温泉・石段街の中ほどにたつ丸本館に泊まった翌朝は早起きして散歩に出た。朝日がさしこむ石段街に人の姿はない。賑やかな石段街もいいが、ひっそりとしているのもいい。どうやら今日もいい天気になりそうだ。神社の方へと石段を上っていく。筆者が履いているつっかけの音だけが響く。

丸本館の少し上の方にあって、広大な敷地を占めているのが、天正四年(1576年)創業という老舗・岸権旅館。その一部である六左衛門の湯の建物の壁には、昔の温泉を描いた木版画や帳場の写真などが飾られ、歴史を垣間見ることができる(写真は下方の3、4枚目)。(文末の関連リンクに入れてある岸権旅館の公式サイトでは、他の木版画や写真が見られる)

さらに石段を上ると、左側の壁に明治44年発行の「上州伊香保温泉場全景」という絵図が飾られている(写真は下方の6枚目)。この絵図では、昨日お参りした薬師堂がもう少し高い場所にたっているようにも見える。そして絵図の左上には、水澤観音や水沢山も描かれている。

湯元源泉地入口を示す立札を通り過ぎる。立札のわきには箱型の樋が引かれ、温泉管の文字がある。伊香保神社の石段を上り、拝殿にたどり着くと、兄弟と思われる子どもたちがお参りをしていた。拝殿の裏手には湯元通りに下りられる道があり、源泉地まで足をのばしたいところだったが、わざわざ時間を少し早めてもらった朝食に遅れるのはまずいのでやめておいた。

本日は榛名方面に向かうが、ここで伊香保と榛名の歴史を簡単に振り返っておきたい。伊香保温泉については、よく万葉の昔からつづく歴史ある温泉地にように表現される。それは、『万葉集』に「イカホ」が詠われているからだ。しかし、いろいろな文献にあたると、「イカホ」が示す地域が万葉の昔と現在とでは違っていることがわかる。たとえば、井田安雄の論考「榛名信仰」(『山岳宗教史研究叢書8:日光山と関東の修験道』(名著出版、1979年)所収)では、以下のように説明されている。

『万葉集』に詠まれている「イカホ」がどの地域をあらわしているのかという点については、早くから議論されたが、一般的には、現在の伊香保、榛名山をふくめた地域を、古代においては「イカホ」とよんでいたものとされている。その論拠は、一つには、『万葉集』の中に「伊香保の沼」とか、「伊香保嶺」という表現がみられること、その反面に、九世紀までの文献に、「榛名」という地名が出ていないことなどによる

このことから、十世紀のころから、榛名という地名が文献の上にあらわれたあと、もともと、榛名山をもふくめて使われていた「伊香保」という地名が、現在のようにせまい範囲の呼称として用いられるようになったと考えられている

では、伊香保の温泉地の基盤は、いつ頃どのようにして形成されたのだろうか。尾崎喜佐雄の論考「伊香保から榛名へ」(みやま文庫7『榛名と伊香保』所収)によれば、われわれが水沢山の山頂から眺めた二ツ岳と関わりがあるらしい(この記事の最後の写真も二ツ岳だ)。二ツ岳は榛名山の火山帯のなかで末期に活動した山で、その爆裂と深く結びついているという。

この二ツ岳の爆裂を七世紀初頭に置いて見ると次のような色々なことが考えられる。まず伊香保の温泉はその時に湧き出したのであり、温泉として使用されたのは八世紀初頭以後、恐らく更にずっと下がった頃のことであろう。(中略)同時に現在の伊香保の湯街の地帯は七世紀代には到底当時の文化水準なみの生活ができなかったところであり、豪族ばかりでなく一般の人々さえも住める地ではなかったものであろう。それ故に豪族の崇敬する神社が存在していたとは考えられない。
 七世紀頃の多くの人々は田畠の耕作の可能な地帯に住んだものであろうし、右のような噴火で荒れた急傾斜の地ばかりでなく、一米五〇乃至二米の浮石層の上には住むことが困難であったにちがいない。浮石降下堆積の外部、殊に群馬郡では有馬の地あたりから南方が適当と見られ、それに相応ずるかのように、有馬の地から南方に七世紀頃の古墳が多い。浮石堆積地帯へは七世紀の終頃になって古墳が再び造られていることが明らかにされてきているのである。
 するとやはり伊香保神社は七世紀の頃には今の湯街にあったわけではなく、有馬の地あたりから南方の豪族の住み得た地にあったと見る方が妥当である

現在の観光案内図

われわれの本日の最初の目的地は榛名神社だが、伊香保神社と榛名神社の関係というのも気になる。先に引用した「榛名信仰」には、ふたつの神社につて以下のような記述がある。

『延喜式』には、上野国関係の「神名」として、一二社が登載され(いわゆる式内社)、そのうち、三社が大社となっている。上野国の大社として『延喜式』に登載されている三社とは、甘楽郡の貫前神社、群馬郡の伊香保神社、勢多郡の赤城神社である。この三社が、古代上野における三大社として考えられていたのである。これに対して、榛名神社は小社として登載されている。尾崎喜左雄博士の研究によると、榛名神社については、「六国史には一回もその名が出ていない、『延喜式神名帳』にはじめて名を連ねている」ということである

最初は伊香保神社の方が有力だったと思われるが、その後はどうなのだろう。伊香保神社の拝殿のわきにたつ伊香保神社略記を見ていて印象に残ったことがある。それは由緒・沿革の記述だ。古代については比較的詳しく書かれているが、そのあとは短く、しかも鎌倉時代初期からいきなり明治維新後にとんでいる。その間の位置づけはどのようなものだったのか。榛名神社、あるいは薬師堂との関係はどうだったのか。

そこで注目したいのが、江戸時代に書かれた二冊の紀行文、中川内膳正妻室の『伊香保記』と跡部良顕の『伊香保紀行』(ともに『群馬県資料集 第六巻 日記篇Ⅱ』(群馬県文化事業振興会、1971年)所収)だ。

まず『伊香保記』は、江戸屋敷にいた九州豊後国岡城主の奥方が、伊香保まで入湯の旅をしたときの紀行だ。彼女は伊香保の手前で水澤観音を訪れ、伊香保滞在中には榛名湖と榛名神社も訪れているが、伊香保神社の話は見当たらない。

せっかくなのでわれわれの伊香保・榛名の旅と重なる部分を抜き出しておく。水沢観音については以下のように綴られている(夏の伊香保・榛名 その一を未読の方は、そちらを先に読まれることをお勧めする。国司高光中将や伊香保姫の名前も出てくるからだ。終わりのほうの、水沢から伊香保に至る山道の描写も印象深い。)

さてそうしやを立いてゝ行ほとに、水沢という所になりぬ、これにくわん音たゝせ給ひて、白雲山のこしをめくりて、草刈わらはともはたゝ雲の中をなん行かよひける。雲行客のあとをうつむとはかやうの事ならんとめつらかにてなかめつゝ、
しら雲にみへみ見へすみ水沢の
山路こえ行をちのさと人。
御前にまいりて見たてまつれは中尊は如意輪くわん音にてわたらせ給ふ。左にはちせう右にやしやみやうわう、御後のかたには千しゆ今一方には十一面たゝせ給ふ。この堂はかうけん天皇の御宇に高光中将といひし人、上野のこくしにておはしけるか、そのほたひ所とかや。かの高光卿は本地やくし如来にてわたらせ給ふゆへに、諸病しつちよのためいかほの里の滝の湯はいたさせ給ふとなり。さてこそかの滝の上にやくしはたゝせ給ふなれ。北の御かたいかほの姫と申せしは則観音のさいたんにてわたらせ給ふとくわしくえん起にみへたり、これはのちいかほのやとにてみ侍りしなり。さて是よりいかほまては皆やま路なりけるか、色々の花むさし野にやゝたちまさりて、あやしの賤か軒端まても花にてふきわたして、かきねも野辺もはきの錦をさらしたれは実おもしろきかきりなりかし

伊香保温泉の記述については、薬師堂に関わる話が目を引く。薬師堂が滝の上にあったとすると、現在よりも源泉に近い、高い場所にたっていたのかもしれない。非常に眺めのよい場所であることがわかる。二番目の引用は、夏の伊香保・榛名 その三で触れた小間口の説明にもなっている。

彼滝の上にたゝせ給う薬師は湯のほんちにてわたらせ給へは、誰もまいるよし聞てあるひるつかたしのひてまいりけるに、らうそくしてし出て御あかしかゝけ御ちやうあけてしんきやうふもんほんなといとたうとくよみ終りてやかて帰りけれは、人々こしよりをり御前おかみなとしてなかむれは、山には色々の花さきみたれ右のかたは谷深くうしろに二つたけ、むかふにをのこ山こもち山わかゝへてのもみつまてといへるも、此山のことにこそといとおかし。今一かたにあかき山さかい沢という山々つゝき立たり。つねにみる山なれとも所からまさりて麓の里も山田の原も今一きわおもしろこそ見わたされける

薬師堂の口のかたにはゆせんたゝせ給ふ。坂の下にあみた堂おはします。ゆせんの別当は則寺号たうせん寺とてやかて引つゝき寺あり、此前当には老たるはゝありけるか、すゝけたる綿かつき、ふるめかしききぬともかさね着て、袂に手ひき入いなかめきはつかしけなるものから、さすかにより来てよしばみたる口つきして物いひたるこそおかしかりつれ。薬師堂の別当はいわよしとて坂より下にてらの軒みへけるか其きわに湯のなかれくる所有て、それよりかけひをかけわたしまち中へとりけるとそ人々かたりける

一番目の引用の冒頭、「彼滝の上にたゝせ給う薬師は湯のほんちにてわたらせ給へは」の部分から、当時の伊香保神社の位置づけが想像できる。「ほんち」とは神仏習合における「本地」のことであり、この温泉地でも神仏習合によって双方が薬師堂として発展していたと考えられる。ちなみに、いま湯元通りにたつ医王寺薬師堂のはじまりだが、旅館ふくぜんの公式サイトでは、天正2年(1574年)創建の古刹と紹介されている。また、毎年5月8日に「薬師花まつり」が開かれるという。

一方、跡部良顕は、国学者・神道学者でありまた旗本の士分を持つ人物で、伊香保の木暮金太夫の宿(現在はホテル金太夫)に湯治を目的に投宿し、そこから榛名神社を訪れ、さらに伊香保からの帰りに水澤観音に立ち寄っているが、やはり伊香保神社の話は見当たらない。

伊香保温泉については、木暮氏の話としてその歴史が以下のように綴られている。

温泉の湧出る事をとへは木暮氏語て曰、神武帝より十一代垂仁帝の御宇はしめてわき出る。其時はいまた浴して病を痊すことをしらす、それより後温泉の湧出る辺の山中に民家漸四五舎すまゐし、病をいやす事を知て浴し侍る。百五十余年以前に上杉定正(昌)の家臣長尾景春入道伊玄此地を領し、処士五人に分ちあたへ浴室をかまへ、筧を以って温泉をとり、病人に浴せしむ。木暮氏も其処士の末也。是より年々関東の人民聞伝へ来る故に民家多くなり、家毎に浴室を設て貴賤の旅人来るもの数をしらす。来歴この外云伝る事なし。古へより云伝へたる書ありしか、昔年民家焼失の時に亡失ぬという

また、水澤観音については、神道学者であるだけに批判的な表現も見られる。

いかほ山を出て宮子村に帰るとて、山下一里程来りて、水沢と云所に観音堂有。是三十三所の一にして、順礼と云者の札うちて尊信する所なり。その札二世安楽の為と書て、其人々の名をあらはし、堂の柱梁四方あきまなくありけり。死生昼夜の如し、なんそ現在未来の二世あらんや。この世の人欲さえつきさるに、来世の安楽を願は何そや。世の人たゝ顔子の楽をしらまほし

では、榛名神社についてはどのように書いているのか。やはり批判的な表現が見られるが、それは次のその五で触れることにしたい。(地図の下につづく)

■伊香保温泉から榛名方面、特に榛名神社への移動は、マイカー利用者には容易いが、われわれ公共交通機関利用者にとっては簡単ではない。バスの便が多くはないうえに、乗り換えなければならない。伊香保から榛名湖方面に向かう最初の便が9:20発で榛名湖に着くのが9:45。榛名湖から榛名神社を経由して高崎に向かうバスが出るのが10:30で、榛名神社に着くのが10:45。これでは神社に参詣してからゆっくり山を歩くことができない。

それなら榛名神社を最後にまわして高崎に向かえばよさそうなものだが、もうひとつ希望がある。帰る前には榛名湖畔にある榛名湖温泉の湯に浸かりたい。そうなると榛名神社からスタートするしかない。ということで前の晩にタクシーを予約しておいた。

石段街の散歩から戻り、7時から朝食をいただく。出発の準備を整え、食休みをしていると、運転手さんがお願いした7:45よりも早く迎えにきてくれたので、さっそく出発することに。

石段街のわき道から上毛三山パノラマ街道に出て、榛名湖方面に向かう。運転手さんが山好きの人だったので、山の話題で盛り上がる。彼は寒くなって人が少なくなった頃に日光や尾瀬の山に行くのだそうだ。山で撮った写真も見せてもらった。

それから、気を利かせて高根展望台で車を停めてくれた。ここは道路わきに駐車スペースと展望デッキがあり、東側の山々が一望できる。中央に大きな木があり、左手に石段街からも見えた十二ヶ岳、中ノ岳、小野子山、中央に子持山(この山は近いうちに登りたいと思っている)、右手に赤城山(近いうちに登る予定)が眺められる。先に引用した『伊香保記』で、中川内膳正妻室は、薬師堂から小野子山、子持山、赤城山を眺めていたので、このような風景を目にしていたことになる。

さらに右に目をやると、かなり近いところに昨日登った水沢山が、その右の目の前には、伊香保温泉の成り立ちに影響を及ぼしたとされる二ツ岳がそびえている。

この高根展望台に着くまでの間に、運転手さんが、その水沢山と二ツ岳にまつわる面白い話をしてくれた。最初は榛名山の南にそびえる天狗山の話だったと思う。そこから天狗の昔話になった。水沢の方に飛んでいった天狗がそこで女性の寝姿を目にし、見たままを山にし、水沢山と二ツ岳が生まれた。そういわれてみると、確かに水沢山は横になっている人の横顔に見えるし、二ツ岳はふくよかな胸に見えてくる。

展望台を出たあとも、車から見える榛名山の山々の話をいろいろ聞かせてもらい、実に楽しい時間を過ごすことができた。

夏の伊香保・榛名 その五につづく)

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