伊香保温泉を散策し、丸本館に泊まる――夏の伊香保・榛名 その三 | 楽土慢遊

伊香保温泉を散策し、丸本館に泊まる――夏の伊香保・榛名 その三

所在地:
[伊香保温泉 丸本館] 群馬県渋川市伊香保町伊香保48番地
交 通:
上越線・渋川駅から関越交通バス30分、伊香保温泉バス停下車

2013年7月13日(土):晴れときどき曇り:水澤観世音―(タクシー)→伊香保温泉→石段街散策→伊香保神社→丸本館

■(夏の伊香保・榛名 その二からのつづき)前回は、水沢山から水澤寺に下り、寺の広い駐車場からタクシーに乗って伊香保温泉に向かうところで終わった。本日の宿は、有名な石段街の中ほどに建つこじんまりとした宿・丸本館。暗くなる前に着いて、夕食の前に石段街を散歩したいと思っていた。17:42の終バスではそれは難しいが、タクシーならなんとかなりそうだ。ちなみに、バス停は石段街から少し離れているが、タクシーは脇の道から入って石段のそばまで行ってくれるので時間の節約になる。

温泉街の彼方に見える山は五万石か

タクシーを降りるともう目指す宿が見えていた。丸本館は、木造4階建て、2階が宴会場、3階と4階に和室の客室が4部屋ずつある。われわれは3階の奥にある部屋に案内された。部屋は6畳、8畳、10畳があり、われわれが予約したのは8畳だ。ザックを下ろして、まずは一休み。

簡単に着替えをして、散歩に出た。雨が少しぱらつくが傘をさすほどでもない。説明の必要もないと思うが、石段の両側には、温泉旅館、土産物店、射的などの遊技場が並び、独特の景観を作り上げている。

ここでその二につづいてまた、伊香保の近くで育ち、伊香保を愛した詩人・山村暮鳥の言葉(随筆「伊香保とはどんなところか」)を引用してみたい。明治の頃には石段を取り巻く建物もいまほど高くはなく、もっと見晴らしがよかったと思われる。

伊香保は自分に様々のことを思い出させる。山腹の急勾配に、遠くからみれば積重ねたやうな家々、高く敷石を段々にした町、濛々と到るところから上る艶かしい湯気、ぷんと鼻を衝くその香り、大きな山を南で背にした陰湿さ、けれど一と風呂浴びて宿の階上の欄干からみわたせば沼田、吾妻の山々、その間の村々、白い壁、こんもりした杉森、帯のような川のながれ、そして遠く越後境界の切つ立てたやうな山々までその折々の色をしてはつきりと蓋し掌上の風景である

夏は伊香保の黄金時代である。冷冽清澄な大気と翠巒の山亦、谿。田舎の湯治客が忙しい田畠へかへつてしまうとそろそろ煤煙の中から逃げ出してきた華奢な都会人の世界になる。華族や富豪、希には皇族方も来られる。急に此処の天地が賑かにそして明るくなる。外国人も近頃は大分、足を停めるさうだ

伊香保の名高いのは唯そこが温泉地であるからばかりではない。美しい附近の自然がどんなにその存在の確立に力となつてをるか。譬へばそれは頭と尻尾のやうなものだ。
 太古の深さをみせて湛へた榛名湖。関東大平野を睨視する黒髪嶽、谿間で囀る鶯をわが子のやうに可愛がつてゐる天神峠の茶店ばあさん。大きな牧場、羊腸たる山の道。奇木珍石。冬は湖上のセガンチニの画でもみてゐるやうな氷切り。夏になるとそれを運びだす幾列の駄馬、その鈴の音。百花らんまんの大きな草原。群鳥の鳴きごゑ、雲の変化のかぎりないそれら一切の上の青空
」(『群馬文学全集 第四巻 山村暮鳥』(群馬県立土屋文明記念文学館)所収)

ちなみに、その当時、暮鳥がよく泊まっていたのは石坂旅館だったという。いまも同名の旅館が石段から横道に入ったところにあるようだ。

われわれは丸本館の前からまず石段を下ることに。浴衣姿の男女がちらほら目につく。石段からは、水沢山の山頂からも眺めた小野子山や中ノ岳(その左には十二ヶ岳が隠れている)がよく見える。射的で遊ぼうかとも思ったが、土産物店が早く閉まりそうなので、覗くだけにしておいた。

今度は石段を上へ。丸本館から少し上ったところに小間口があり、ガラスを通して流れていく温泉を見ることができる。この小間口の歴史は古い。『榛名と伊香保』(みやま文庫7、1962)に収められた佐々木一郎の論考「伊香保温泉の移り変わり」によれば、伊香保が伊香保神社の社領から七氏に分割され、温泉街の基礎が築かれたのが、武田氏が支配する天正の頃。その後、温泉街は十四軒の大家が支配する共同体となり、温泉に関する取り決めが交わされた。

「(前略)引湯量は小間口(湯口)によって規定することなどである。またその小間口も当初は長尾輝景によって横四寸竪六分と平等に規制された。この小間口とは、温泉の湧口から引く本管(大堰とも湯堰ともいう)から各家へ引く湯の口のことで六尺の樋がついた。また、湯口の竪の長さを調節する板を小間板と呼び、小間口を計る定盤木は樫で作られた板で年一回立会いの上で行った

そんな歴史を踏まえて以下のサイト 伊香保 黄金の湯 小間口 をチェックしてみると興味深い。いまも源泉から旅館に湯樋を使って温泉が引かれている。小間口に関するページには、定盤木や小間板の説明がある。つまり、当時の方法が引き継がれていることになる。ちなみに、石段街には全部で四つの小間口があるという。

小間口を過ぎ、土産物店や湯の花まんじゅうの店などを眺めながら上っていくと、伊香保神社の石段と鳥居が見えてくる。神社に参詣する前に、石段の手前を右に曲がって湯元通りに入る。この道は湯元源泉地の日帰り入浴施設・露天風呂に通じている。時間があれば浸かりたいところだが、今回は諦める。通りを入ってすぐ右手に薬師堂が建っている。いまは小さなお堂だが、江戸時代には大いに栄えていたようだ。

先述した「伊香保温泉の移り変わり」によれば、伊香保温泉は江戸時代、特に明和から安永にかけて繁盛し、街は神社、薬師堂を中心に参詣者、浴客で賑わったという。さらに以下のような記述もある。「弘化二年、温泉街の中心部にあった薬師堂が再建された。総工費千四百五十両余、浴客、参詣人から浄財をつのり十三年ぶりのことだった(医王寺蔵、嘉永三年、薬師堂再建明細帳)。人々はその華麗さに驚き「伊香保の薬師か日光か。」(口碑)といったという

薬師堂にお参りし、道を戻り、伊香保神社の石段を上る。この神社については、次のその四であらためて書くつもりなので、ここではあまり触れない。社殿の向かいには神楽殿が建っている。その脇に伊香保森林公園に通じる道がある。その二でも少し触れたが、水沢山の山頂から伊香保方面に下った場合には、この道に下りてくることになる。

神社にお参りし、再び石段を下っていく。明日は土産物を買う時間がなさそうなので、途中の店でうどん茶屋水沢万葉亭の「水沢うどん」を購入する。店頭にはモンドセレクション5年連続最高金賞受賞と表示されている。明日はこのうどんも加わったザックを背負って山に登るので、今晩のうちに温泉で疲労を回復し、体調を整えておかねばならない。

丸本館の前の公園でアイスを食べ、部屋に戻ってきた。この部屋は3階奥の角部屋で、二面に大きな窓があり、風がよく通るためか、もともとそういう気候なのか、とにかく冷房を使わなくても非常に涼しく、気持ちがいい。横浜は暑かったが、これならよく眠れそうだ。

窓の外に広がる風景は、先ほど引用した山村暮鳥の世界とはかなり違うが、筆者は、きれいに整えられた表通りとは対照的な、時の流れを感じさせる横丁や裏通りの風景も嫌いではない。独特の雰囲気をかもし出していて見飽きない。

風景を眺めているうちに夕食の時間になった。夕食はお膳で部屋に運ばれてくる。われわれは食べるのは好きでも、量はそれほど食べないので、今回は、基本プランから料理の品数を減らした「お料理少なめ お得プラン」で予約をした。

それでもお膳には、刺身、水沢うどん入りの鍋物、海老の焼き物、後から揚げたてで運ばれる天ぷら、長芋の酢の物、山菜の漬物、デザートなどが並び、満腹になった。基本プランではさらにどんなメニューが加わるのかわからないが、われわれにはこれだけ出れば十分だ。

食事が終わるとインターホンで知らせ、お膳が下げられると、廊下を隔てた布団部屋から布団が運ばれ敷かれる。あとは温泉に浸かってくつろぐばかり。丸本館のお風呂は、源泉かけ流し、無色透明が酸素に触れることで茶褐色にかわる黄金の湯。掃除の時間を除いて24時間いつでも入浴できる。

たっぷり食休みをしてから9時過ぎにお風呂へ。部屋の脇にある裏手の階段から1階に下りていくと風呂がある。先客はなく、貸切状態だった。汗を流して、茶褐色のお湯に浸かる。いつものことながら山に登ったあとの温泉は気持ちがいい。丸本館のHPに、お風呂の広さは4~5名程度とあるように、湯船も決して広くはないが、部屋数が多くないので静かに入浴できる可能性は高い。寝る前、12時少し前にもう一度入浴したが、そのときも貸切だった。

ちなみに効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこばわり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、動脈硬化症、慢性皮膚病とのこと。すっかりくつろぎ、体もほぐれ、ぐっすり眠れた。

夏の伊香保・榛名 その四につづく)

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