行者谷コースを下り、山楽荘に泊まる――伯耆大山に登る その六 | 楽土慢遊

行者谷コースを下り、山楽荘に泊まる――伯耆大山に登る その六

所在地:
鳥取県西伯郡大山町
交 通:
JR山陰本線・米子駅→(大山寺行きバス54分)大山寺バス停

2012年5月4日(金):雨のち曇り:頂上避難小屋→6合目避難小屋→行者谷別れ→大神山神社奥宮→大山参道ギャラリー→山楽荘

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■(伯耆大山に登る その五からのつづき)前回はガスでほとんど展望がきかない弥山山頂を拝み、すぐそばに建っている頂上避難小屋で温かいものをつくって腹を満たしたところで終わった。軽く食休みをしてから下山の準備をし、12:00前に頂上小屋を出る。相変わらず小雨が降りつづき、顔にあたる風が冷たい。(↓写真は下山途中で雨が上がってから撮りだしたものです)

小屋の前から、登ってきたときと同じ木道を戻る。すぐにぶつかる分岐でどちらに進むべきか少し迷う。弥山の8合目を過ぎたあたりから頂上に至る台地では、コースが8の字を描いている。山頂に至る小さいほうの円は頂上小屋を取り巻いているだけなので、ここまで展望がきかなければどちらから行ってどちらから戻ってもあまり変わらない。

これに対して8合目寄りの大きな円のほうは別の見所がある。われわれは元谷に面した主道を登ってきたが、この分岐からもう一方の周回歩道を行けば、梵字ガ池の脇を通る。その五でも触れたことだが、三浦秀宥の「伯耆大山縁起と諸伝承」(『仏教民俗学大系7:寺と地域社会』所収)では、江戸時代の「弥山禅定」が以下のように説明されている。

行者二人が五月朔日から六月十四日まで写経し、十四日夜、弥山(山頂)に登り、写経を埋め、池の水を汲んで十五日朝に下山することになっていた

そんな歴史を踏まえるなら、梵字ガ池も見てみたいところだったが、さすがにこの天候ではまともには見えないだろうと考え、次に来たときの楽しみにして、主道を戻ることにした。

微妙に傾いた木道を用心しながら進み、登りで立ち往生した問題の場所までやって来た。相変わらず谷から吹き上げてくる強風が、木道を横切っている。その勢いはまったく衰えていないように見える。

但し、登りのときほどの恐怖感はない。なぜならこちら側からは、風下が平坦でダイセンキャラボクの群落になっていることがわかるからだ。これなら仮に吹き飛ばされたとしてもほとんど危険はない。ということで、登りのときほど苦労することなく通り抜けることができた。

8合目を過ぎると、頂上台地につけられた平坦な道は終わり、斜面になる。下っていくうちに雨が弱くなり、夏山登山道と行者コースの分岐に着く手前あたりでほぼやんだのでカメラを取り出す。

行者谷別れの分岐から行者谷コースに入り、丸木の急な階段を下っていく。登山道の周りには見事なブナ林が広がっている。大山情報館でもらってきた「大山登山コース」のマップには、ブナ林について以下のように説明されている。

大山を代表する林はブナ林です。海抜600~1350mの地帯の最も安定した自然の姿がブナ林です。ブナ林の中は高木層、亜高木層、低木層、草本層と植物の棲み分けが見られ、低木層はチャボガヤ、ヒメモチ、ヒメアオキ、クロモジなどからなっています

ジグザグの道を下っていくと、行者谷の残雪が目につくようになる。そして谷を横切る場所では、道が残雪に覆われていた。さらに進むと、元谷の大堰堤の上流部に出る。天気がよければここで視界が開け、大山の北壁が拝める。

だが、これだけガスっていると展望どころではない。北壁から崩れ落ちた土石に埋め尽くされた河原はけっこう広く、視界がきかないと道がわかりにくい。石にペイントされた矢印を見落とすと、あらぬ方向に進んでしまいかねない。

河原を渡り、対岸の登山道に入るが、こちらにもけっこう雪が残っている部分があった。

登山道を進み、下宝珠越への分岐を右に見送ると、ブナ林が杉の大木に変わる。目指す大神山神社はもう近い。

間もなく大木の向こうに建物のシルエットが浮かび、大神山神社の裏手に出る。「大山ぶらりまっぷ」で大神山神社奥宮について、「元々は僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まり」と説明されていたのを思い出す。

拝殿のわきでザックをおろし、ひと息つく。今日もしっかりお参りする。それから昨日も歩いた石畳の参道をくだり、本通りに出てまずは大山参道ギャラリーに立ち寄り、昨日も話をした職員の方から約束した大山のポスターをいただく。

本通りをくだり、昨日泊まった吉野旅館で預かっていただいていた他の荷物を回収する。ご主人とおばあちゃんに、ガスでなにも見えなかったことを伝える。おばあちゃんが、「山は逃げないから」といって微笑んでいた。次に来たときには三鈷峰にも登りたいと思う。

荷物を持って本日の宿、山楽荘に向かう。山楽荘は大山寺本堂や大神山神社奥宮に至る参道の入口のすぐそばにある。本通りに面した駐車場を抜け、石段をのぼる。そのわきに大きな桜の木があり、花びらが石段に散っていた。ここは宿坊であり、正しくは山楽荘の前に宿坊・観証院がつく。昨日、僧兵コースで最初に訪れた蓮浄院の説明板には以下のように記されていた。

大山には、かつて100以上の僧坊があり大変にぎわっていましたが、明治のはじめの廃仏毀釈により急速に衰退し、今ではこの蓮浄院をはじめ洞明院、円流院、観証院(山楽荘)、理観院、金剛院(三鈷荘)、寿福院(不老園)、普明院(清光庵)の8院を残すのみとなりました

そんな歴史を偲ばせる宿に泊まるわけだ。部屋に案内してくれた女性が、今年は雪が多かったためにその重みで建物が歪み、窓や障子が開きにくくなったと話していた。雨に濡れた衣類を干し、ひと休みしてからお風呂に向かう。

お風呂はけっこうゆったりした大浴場で、人工ミネラル温泉とのこと。先客は筆者より若い男性がひとりだけ。山には登らないが写真が好きで、車で回って風景を撮っているという。

山頂が寒かっただけにお湯がありがたい。後から入ってきた年配の男性が、やはり弥山に登ってきたということで、山の話になった。さっそく例の強風が道を横切っている場所は大丈夫だったかと聞かれた。この男性があの場所を通過したのはわれわれより後のようだったが、凄まじい強風を目の当たりにして山頂を諦め、引き返した人たちもいたという。危険を感じたのであれば、無理をしないというのは正しい判断だと思う。

食事は料金によってメニューが変わるとのことだったので、予約のときに、中の料金でお願いしていた。夕食は個室になっている広々とした座敷でいただく。料理については山楽荘のホームページで以下のように説明されている。

当坊でご用意いたしますお料理は大山寺に伝わります、山菜精進料理です。この地は標高八百米以上の高地にあり、気温が低いのと土地が痩せている為、田畑が出来ません。里のお寺の精進料理のように畑の食材を巧みに使う事が出来ない為、昔から大山で採れる山の幸・山菜を独自の方法で保存しつかう独特の精進料理が生まれました。四季折々の大山の恵みと伝統の味をご賞味下さい。大山の自然やその恵みを目と舌で感じて味わっていただくお料理です。なお天然の食材を使用します為、時期により使う食材が異なります

山菜精進料理といったら食材も料理の種類も限られているように思えるが、次から次へと運ばれてくる料理の豊富なバリエーションに驚かされる。一品一品の量は多くないのに、これだけ出てくるとさすがに満腹になる。しかもきれいに盛りつけられていて、たいへん美味い。食事のみも可能とのことなので、オススメである。

山で必要とする荷物はまとめて宿から宅配で先に送り返し、明日は大山寺の町を離れて松江城や出雲大社をまわり、行きと同じサンライズ出雲で横浜に戻る予定だ。

伯耆大山に登る その七につづく)




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