継子岳、摩利支天を経て二の池新館へ――木曽御嶽山に登る その三 | 楽土慢遊

継子岳、摩利支天を経て二の池新館へ――木曽御嶽山に登る その三

所在地:
[飛騨口] 岐阜県下呂市小坂町濁河(にごりご)温泉
交 通:
おんたけ交通 木曽福島駅発 チャオ御岳スノーリゾート線・濁河温泉線 所要時間90分 ※シーズンのみの運行

2006年8月17日(木):晴れのち曇り、小雨:飛騨頂上→針の山→継子岳→針の山→五の池小屋→摩利支天山分岐→摩利支天山→摩利支天山分岐→白龍避難小屋→賽の河原→ニの池新館









■ (木曽御嶽山に登る その二のつづき)その二の最後で書いたように、飛騨頂上は、摩利支天山、賽の河原や剣ヶ峰、三ノ池や開田頂上、継子岳など、広い頂上部の様々な方向に向かう分岐点になっているが、われわれはまず継子岳に向かう。飛騨口登山道の森林限界を越えたあたりから広がり出したガスが相変わらず視界を遮っている。

ハイマツに覆われた尾根道を進む。山頂がある右手の方向はガスに隠れている。

展望に期待できないので、登山道周辺の花を観察しつつ歩く。イワギキョウの花を撮っているときに、とうとう雨が降り出した。すぐには止みそうにないのでレインウェアを出す。

平たくて尖った岩が林立する針の山と呼ばれる場所を通る。ここのインパクトはなかなか強烈だった。ガスで視界が遮られているため、どこか異界に迷い込んだ気分になるのだ。

11:30過ぎに山頂に到着。人の姿はない。天気がよければ360度のパノラマが広がっているようだが、なにも見えず。雨がおさまってきたし、貸切状態なので、ここで昼食をとることにする。食事中に山頂の反対側の縁に雷鳥が現れたが、すぐに行ってしまった。

山頂からは継子二峰を経由して、四ノ池の外輪を一周するように飛騨頂上に戻るコースもあるが、そちらは天候が悪化すると苦労しそうなので、素直に来た道を戻ることにする。

再び針の山を通過する。どうしてこんな風景になったのか大いに気になる。往路と同様、短いながらも異界に迷い込んだ気分になる。

戻る途中で不思議な石窟に遭遇した。大岩の一方の上部に碑が据えつけられ、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大御神、月読尊という日本神話の神々の名前が刻まれている。そして、碑の真下にある大岩の空洞を覗いてみると、そこには祠が置かれている。一体どのような信仰が営まれていたのだろうか。

ちなみに、神仏分離以後の木曽御嶽における祭神については、『木曽のおんたけさん【その歴史と信仰】』(岩田書院、2009年)のなかで、以下のように記されている。

「木曽御嶽においても、明治二年(一八六九)、山村代官から木曽支配を受け継いだ木曽総管所からの達しによって、黒沢および王滝の両里宮は、神仏習合的な権現号を廃し、それぞれ御嶽神社(黒沢)、御嶽岩戸神社(王滝)と社号を改称しました。そして、これまで神社で祀っていた本地仏を取り片付け、改めて祭神を大己貴命、少彦名命として届け出ました。以後、御嶽信仰においては、この二神に講中の信仰する国常立尊を加えた御嶽三神が、主要な崇拝対象とされてゆくことになりました」

飛騨頂上の近くまで戻ってきた。御嶽山の山頂部には五つの火山湖(すべて水をたたえているわけではない)があるが、この近辺からはそのうちの三つを眺めることができる。

季節などによっても変動があるのだろうが、五ノ池は水が少ない。われわれが訪れたときには底にわずかに残っているだけだった。

五ノ池の外輪、飛騨頂上の下に建つ山小屋・五の池山荘。HPの紹介によれば、「春、夏、秋とシーズン中何度も訪れる常連の登山者の方達が多く、どちらかというと、あまりピークを目指す意識の少ない人が多く集うのが特徴」とのこと。2010年まで50人だった収容人員が2011年より100人になった。

四ノ池は外輪の東端の溝から水が流れ落ちているので、湖にはなっていない。いく筋もの小川が流れる湿原にはたくさんの高山植物を見ることができる。「山と高原地図」では、四ノ池周辺の花として、イワウメ、イワギキョウ、チングルマ、ハクサンイチゲ、アオノツガザクラ、コケモモなどが挙げられている。先ほどの継子岳山頂から外輪を一周すれば、湿原の縁を横切ることになる。

五つの火山湖のなかで一番大きな三ノ池。深さは13.5mもあるという。開田口登山道から登った場合には、三ノ池の南に位置する開田頂上に出ることになる。外輪を一周するコースもある。

五の池小屋近辺から今度は摩利支天山に向かう。とりあえず目指すのは摩利支天山分岐だ。

高度を上げていく。ガスに遮られて遠望はきかないが、三ノ池あたりの眺めがよくなる。この美しく神秘的な湖が山への信仰のなかで意味を持たないはずはない。

先ほども引用した『木曽のおんたけさん【その歴史と信仰】』では、三ノ池が以下のように説明されている。「その中でも三ノ池は御嶽山最大の秘所とされ、その水は祈祷して服用すると万病に効くことから、多くの講中がそこに参拝して水を汲む、『お水とり』を行っている」

振り返って見渡すと、午前中に歩いた場所の位置関係がよくわかる。五ノ池、五の池小屋、飛騨頂上の背後にそびえているのが継子岳だ。

摩利支天山分岐に向かって岩だらけの斜面を進む。ときどき雨がぱらつくのでレインウェアはそのままだ。

鳥居と祠がある摩利支天山分岐に到着。ガスで見えにくいが東側は断崖になっているようだ。分岐の一方は、アルマヤ天との稜線にある白龍避難小屋に向かう道になっている。山頂から戻ったらその道を行くことになる。

摩利支天山の登山道をしばらく進んだところから、アルマヤ天を眺める。下の方に避難小屋も見える。その左手には雪渓も見える。

ごつごつした岩尾根を巻く細い道がつづく。

同じように「○○金神」と刻まれた定型の石碑が岩の上や下に置かれている。荒々しい岩尾根は、かつて行場になっていたとしてもおかしくない。

『木曽のおんたけさん【その歴史と信仰】』ではこの山が以下のように説明されている。「摩利支天は御嶽信仰の中では主祭神の御嶽座王権現の神格の一部を表すとともに、御嶽行者が行う『御座』などの行法の守り神として信仰されている」

左側が切れ落ち、ガスで下がよく見えないため、岩などにつけられた目印を見落とさないように進む。

尾根は険しい印象を与えるが、道端や岩の間には様々な花が咲き、雰囲気を和らげてくれる。

上から岩が大きく迫り出している場所もあり、道を踏み外さないように、そして植物を踏まないように下に注意を払って歩いていると、頭をぶつけそうになる。

山頂はわかりにくいが、なんとか到着。落ち着けるスペースはないので、その先にある窪地で小休止し、分岐まで戻ることに。

分岐から先述したもう一本の道を下り、避難小屋の前に出る。ここは三ノ池白龍教の霊場になっていて、小屋も団体が建てたものだという。

避難小屋から南に進み、賽の河原を通る。供養のための石積みの塚が林立し、石の仏が祀られている。ガスに覆われていると、その独特の雰囲気がいっそう際立つ。筆者はまだ若いころに訪れた恐山の風景を思い出していた。昨年登った月山にも頂上の手前に賽の河原があった。

こういう似た風景がつづく場所ではガスにまかれると道に迷いやすいので、用心して進む。

賽の河原から斜面を登り、ハイマツのなかの道を通って、16:00を回ったころに二の池新館に無事に到着。この山小屋のHPによれば、標高2900mに位置し、収容人数220人とのこと。われわれは個室を予約していた。こんな山の上で風呂に入り、1階の広間でおでんなどの夕食をいただく。宿泊客は20人ほど。消灯が20:00なのでてきぱきと進み、個室に戻る。「夏でも寒い」と歌われるだけあってほんとに寒い。部屋に備えられたふとんをかぶる。持参したワインのミニボトルがうまかった。微妙な頭痛もおさまってしまった。しっかりふとんにくるまり、眠りにつく。

木曽御嶽山に登る その四につづく)

《引用/参照文献》

● 『木曽のおんたけさん【その歴史と信仰】』菅原壽清+時枝務+中山郁・編著(岩田書院、2009年)






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