展望に恵まれたお鉢巡りと地獄谷――木曽御嶽山に登る その四 | 楽土慢遊

展望に恵まれたお鉢巡りと地獄谷――木曽御嶽山に登る その四

所在地:
[黒沢口登山道六合目・中の湯] 長野県木曽郡三岳村
交 通:
おんたけ交通:木曽福島駅~中の湯 所要時間55分

2006年8月18日(金):晴れ:二の池新館→二ノ池→三十六童子の碑→地獄谷展望所

■ (木曽御嶽山に登る その三のつづき)本日は、まず二の池新館から一の池の外輪をめぐって御嶽山の最高地点である剣ヶ峰の頂上(3067m)を目指す。その山頂から王滝頂上神社が鎮座する王滝頂上を経て、黒沢口登山道を下る。登山道の9合目には、開山の祖である覚明行者を祀った覚明堂がある。

二の池新館の朝食は05:30。1階の広間で食事をとり、06:00過ぎに山小屋を出る。外は昨日の後半とはうってかわって青空が広がり、強い日差しが照りつけてくる。昨日はガスに視界を遮られていたため、山小屋の前に広がる風景に目を奪われる。

広い火口原の向こうに東西に延びる摩利支天山が鮮やかに浮かび上がる。昨日はその尾根を足元を気にしながら歩いていたことになる。

二の池新館の前から、まず二の池本館の方向に進む。あちこちに高山植物が群生している。本館の建物のわきからアルマヤ天を眺める。摩利支天に登る途中で見たときとは、山容がずいぶん違って見える。

二ノ池は二の池本館のすぐ目の前にある。この湖をそばから見たくて、まずはこちらのコースを選んだ。ターコイズブルーとでもいえばよいのだろうか、とても美しい湖だ。

『日本の名山11:御嶽山』(博品社、1998年)に収められた大塚大の「御岳火口湖群」では、二ノ池が以下のように説明されている。

「度重なる一ノ池の火山の爆発と溶岩流の噴出が終わりを告げるころ、火口壁東側一帯で水蒸気の爆発が起こった。この爆発により二ノ池が生まれた。

 二ノ池は数回の爆発後に現在の大きさの湖盆を造っておさまった。したがって一ノ池火口と二ノ池は低い火口瀬によってつながっている。なお二ノ池は本邦最高所の高山湖(南アルプスの悪沢池も同高度)で二九〇五メートルのところに位置している。水深は三・五メートルである」

さらに、雪渓に関する記述も興味深い。「北西岸の斜面にある万年雪は、昼夜の気温差の影響を受けて融雪量が著しく変化する。この融雪量の変化が水面の水位を約四〇センチも上下させる。また、雪面に亀裂を生じさせて時折、湖面に雪が落下する。その時は湖面一帯に大きな津波が生じるほどだ」。おそらく雪渓は、このテキストが書かれたときよりも小さくなっているだろう。

二ノ池から今度は一ノ池の外輪の尾根に出るために斜面を登っていく。その斜面から見下ろした二ノ池も美しかった。湖の向こうに雲海と麓の景色が見えるため、高所にある湖を実感できる。

さらに北方向の遠望も素晴らしい。広い火口原に二の池新館が小さく見える。その向こうに摩利支天とアルマヤ天、ふたつの山の稜線から継子岳の二峰が頭を出し、その向こうには雲海と青空が広がっている。

継子岳の向こうには北アルプスの山々が見える。昨日の継子岳山頂がガスに包まれていたのが惜しまれる。

外輪の尾根に出たところから、一ノ池と剣ヶ峰を見渡す。これから外輪を半周するお鉢巡りをして山頂を目指す。

御嶽山のお鉢巡りは三十六童子巡りとも呼ばれる。三十六童子は不動明王の眷属で、外輪山にはその名を刻んだ石碑が置かれ、それを巡っていくことになる。ただし、いま目の前にある碑に36番目となる烏婆計童子の名前が刻まれているように、われわれが立っているところは正確には始点ではなく終点である。本来は時計回りで巡るわけだが、飛騨口から登ってきたらやはりこう行くしかないだろう。ちなみにオベリスクのようなかたちをした碑には、反対側に三十六童子と書かれている。

筆者が三十六童子で最初に思い出すのは、筆者のトレーニング場所でもある丹沢の大山の中腹に鎮座する雨降山大山寺だ。このお寺のご本尊は不動明王で、本堂に至る石段の両脇には三十六童子の像が並んでいる。まだ大山寺の記事を一本もアップしていないが、画像もたくさんキープしてあるので、近いうちに記事をまとめることにしたい。秋には鮮やかな紅葉と三十六童子の像の組み合わせがなかなか絵になる。

だが、御嶽山の三十六童子巡りはさすがにスケールが違う。童子の碑をめぐって岩場を進んでいくうちに、展望も様々に変化していく。

外輪から摩利支天山の尾根を眺める。飛騨口を登っているときには、北側から尾根を眺めていたが、今度は反対の南側から眺めていることになる。

外輪の西端にくると、西側にそびえる継母岳が間近に見られる。継子岳とはだいぶ離れているが、なにか繋がりがあるのだろうか。それを説明したテキストにはまだ出会っていない。

一ノ池の広々とした火口原を見渡す。外輪の斜面の雪渓から水が流れた跡が見える。

18番目の利車毘童子の碑を過ぎる。地獄谷が近づくと風景や雰囲気が変わり、活火山の荒々しさを垣間見ることができる。地獄谷といえば、1979年10月28日に起こった御嶽山の噴火に触れないわけにはいかないだろう。

高橋千劔破の『名山の日本史』(河出書房新社、2004年)に取り上げられている御嶽山のテキストは、噴火のエピソードから始まり、以下のように綴られている。

「おんたけさん、すなわち御嶽の主峰剣ヶ峰の頂上直下の南斜面、地獄谷の最上部付近から真っ黒な噴煙が空高く湧き上がり、その主火口から南東に延びた火口列からも、幾筋もの白煙が噴き上がった。噴煙とともに放出された火山灰の量は推定で一八〇万トン、西風に流されたその火山灰は群馬県の前橋市まで達した。爆発は蒸気によるものであり、マグマ噴火ではなかった。だが、御嶽を仰ぎ見ることができる木曽地方や飛騨の人たちのみならず、日本中の多くの人たちが「おんたけさん」の爆発に驚愕した。なぜなら、御嶽は有史以来一度も噴火したことがない山だったからである」

さらに先ほど引用した『日本の名山11:御嶽山』(博品社、1998年)に収められた伊藤和明の「御岳山噴火に思う」では、噴火について以下のような考察が加えられている。

「誰しも、有史以来初めての噴火が、自分たちの世代に起ころうとは夢にも思っていなかったはずである。まして、御岳山が活火山だったとは、ほとんどの人たちが知らなかったにちがいない。今は使われなくなってしまった言葉に、「休火山」という呼び名がある。昔流の分類に従えば、御岳山は休火山だったことになる。しかし、人間の目から見て休んでいるとした火山、人間本位の時間の尺度で休んでいるとした火山が、自然史の時間の中で突然噴火を始めたということは、当然といえばあまりにも当然のことなのである。人間の時間の物指で、自然の時間を測ることができないことを、今回の噴火ははっきり物語っているといえよう」

地獄谷の展望エリアを後にしてしばらく進み、三十六童子の1番目である矜迦羅童子の碑にたどり着く。御嶽神社奥社が鎮座する頂上部はもう目と鼻の先だ。

さすがに剣ヶ峰の頂上が近いだけあって、矜迦羅童子の碑の前から北の方向に目を向けると、御嶽山の山頂部がほとんど一望できる。昨日から今日にかけて歩いてきた場所だ。今朝、最初に立ち寄った二ノ池がずいぶん小さく見える。昨日はあまり天候に恵まれなかったが、今日は晴れてよかった。

(木曽御嶽山に登る その五はただいま準備中です)

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