中世修験道の聖地・五頭山に登る――新潟の温泉・霊場巡り その六 | 楽土慢遊

中世修験道の聖地・五頭山に登る――新潟の温泉・霊場巡り その六

所在地:
新潟県阿賀野市・東蒲原郡阿賀町
交 通:
羽越本線・水原駅、杉村温泉行きバスに乗り、出湯温泉で下車

2015年8月12日(水):曇りときどき晴れ:月岡温泉・浪花屋旅館―(タクシー)→砂郷沢橋→見晴台→烏帽子岩→三ツ俣→五ノ峰→一ノ峰

■ (新潟の温泉・霊場巡り その五からのつづき)月岡温泉の浪花屋旅館に泊まり、5:00に起床。昨晩は濃厚な温泉の効能で体が温まり、ぐっすり眠れた。お茶で目を覚まし、ぼちぼち荷物の整理を始める。6:00になったのでまた風呂に行く。いやー、何度浸かっても気持ちがいい。

部屋に戻って窓から空模様を確認する。快晴とまではいかないが、それほど悪くはなさそうだ。7:00になったので、夕食と同じように隣室に移動し、朝食をいただく。昨日は満腹であまり入らなかったあの美味しいご飯をしっかりおかわりする。朝食を終え、部屋で一休みして、予約したタクシーに乗り込む。ご主人とガイドブックなどでお世話になった男性に見送られて出発する。

300号線から290号線に入って南に進んでいくと出湯の交差点に出る。交差点を直進してすぐに左の道に入る。やまびこ通りと呼ばれている車道だ。その道を1キロほど進み、砂郷沢橋で降ろしてもらう。橋からは、登山届を提出する小屋とゲートが見えるので、そちらに進む。ゲートの脇を抜け、沢に沿って舗装された道を進む。

五頭山については、とても興味をそそられ、かつ勉強になった本がある。中野豈任の『忘れられた霊場――中世心性史の試み』(平凡社、1988年)だ。そこにはたとえば、以下のような記述がある。

「この五頭山塊は白河荘の東側を南北に三五キロメートルにわたって走る山塊で、主峰の五頭山をはじめとして、宝珠山・八咫山・虚空蔵山・菱ヶ岳・立石山・権現山など、信仰の峰々から成っており、古来修験者の活動の地として知られていた。これらの峰々は中世ではいずれも修験者の管轄下にあり、その名残りは明治まで残っていた」

「このような五頭山塊の峰々の中でも古来信仰を集め、この山塊の中心となっていたのが主峰の五頭山である。この山は五つの連峰から成っているのでこの山名があるが、中世の修験者は五つの峰を五智仏の宿る霊峰と観じていたのであろう。日本の多くの山岳霊場がそうであったように、この山も古代においては、この地方の祖霊の集まる山、「死者の国」として意識されていたものが、浄土信仰の流入にともない「阿弥陀如来の浄土」として意識されるようになり、中世にはこの地方の浄土として信仰を集めていたものであろうと言う。五頭山の登り口近くの山中の沢(谷川)から中世の墓址が発見されることや、蓮台野と呼ばれる山裾の緩斜面から、死者の供養或は逆修のための石仏(阿弥陀仏)が数百体も発見されていることは、やはり中世の五頭山がこの地方の浄土、或は死者の行くところとして意識されていたことを物語るものであろう」

登山道に入る前に、道の脇に山の神が祀られていたので、しっかり登山の安全を祈願した。沢に架かる丸太橋の手前に、五頭登山道の道標がたっている。この橋を渡ると登山道になる。橋の上から沢を見下ろし、石の色を見て、また『忘れられた霊場』のことを思い出した。そこには、五頭山の谷川について以下のようなことが書かれている。

「五頭山塊で中世修験者が活動していた頃、同じこの五頭山塊で、また製鉄(タタラ)が営まれていた。製鉄は「砂鉄七里、炭三里」といわれるように、近辺に豊富な砂鉄と木炭を産しなければならない。この五頭山塊の山麓は古くから木炭の産地として知られており、近年まで山麓の農家のほとんどが炭を焼いていた。鉄の原料たる砂鉄もこの山塊の谷川で採取されたらしい。砂鉄・砂金などが採取された場所には「砂子沢」「金山谷」「金沢」などの地名が付される場合が多いが、五頭山塊の場合も同様である。砂子沢・金山谷などと呼ばれる谷川には砂鉄の母岩が分布しており、その谷口を中心に中世の製鉄遺址が発見される」

「五頭山から出湯部落に流下している谷川が砂郷沢(砂子沢)である。この谷川は鉄分を含む赤い水が浸み出していることで有名である。五頭山塊の地質を調査された荒木繁雄氏の御教示によって、この周辺の岩石は酸化鉄を多量に含む赤錆色の各閃花崗岩からなっていることを知った。この花崗岩はきわめてもろく、素手でも崩すことができる。いわゆる赤目砂鉄の母岩である」

筆者が見た沢の石は、水面の近くの部分が赤茶色に染まっているように見えた。

登山道に入るとしばらく杉の樹林がつづき、七曲という急登になる。早くも汗が噴き出してくる。急登が終わると、赤安山がそびえる北側の視界が少し開ける。さらに登り、大岩の脇を通り抜けると、風化した花崗岩の烏帽子岩に出る。ここが五合目になる。この大岩の上は展望のポイントになっているが、このときはかなり霞んでいた。

烏帽子岩から比較的平坦な道を進んでいくと、今板コース、スキー場コースの登山道が合流する三ツ俣という開けた分岐点に出る。五頭温泉郷には、出湯温泉、今板温泉、村杉温泉という三つの温泉がある。地図では、今板コースを行けば、扇山、重平山を経由して今板温泉に、スキー場コースを行けばスキー場、どんぐりの森を経由して村杉温泉に下ることができる。下りはここまで戻って、村杉温泉に下り、バスで出湯温泉まで行くのも悪くないと思ったが、とにかくバスの便が限られているのでやめておくことにした。

三ツ俣でザックを下ろし、休憩する間にだいぶ晴れ間がのぞくようになってきた。暑いのとアブがしつこく付きまとうのには参ったが、上々の天候で久しぶりの山歩きがとにかく気持ちいい。

登山道の周辺にブナが目立つようになる。

掘割の道を進む。まだ記事をアップしていないが、出羽三山に登ったあとに歩いた六十里越街道の風景を思い出す。そこには道が深くえぐられ、左右からブナが頭上を覆うような場所があった。

五ノ峰の直下、急斜面の大岩に彫られた親子地蔵を見上げる。信仰の山の厳かな空気が漂っている。

親子地蔵の脇から斜面を登り、五ノ峰に到着。開けた場所のあちこちに大岩が転がっている。ここで再び『忘れられた霊場』から五頭山に関する記述を引用しておく。

「五頭山は新潟県北蒲原郡笹神村の東に連なる五頭連峯の主峰(標高九百メートル)で、この地方の水分りの山である。山頂が五つの峰からなるところから、「五頭」の名があるが、かつては「いつつむり山」と呼ばれていた。弘法大師開創の霊場という伝説をもつこの山は、現在登山者で賑わっているが、五つの峰に祠られている、観世音菩薩(一ノ峰)・薬師如来(二ノ峰)・不動明王(三ノ峰)・毘沙門天(四ノ峰)・地蔵菩薩(五ノ峰)を登拝する、信者の姿も見ることができる。

「五頭連峯の西に広がる北蒲原郡水原町・安田町・笹神町・京ヶ瀬村一帯は、中世では白河荘と呼称されていた。そして、この荘園の東の境界を形成していたのが五頭連峯であった。連峯の西には越後平野が開け、山頂からは遥か日本海まで眺望がきく。それゆえにまた、この連峯は西麓の地域のみならず、新潟市や日本海上からも望むことができる。かつて、この山を仰いだ中世の人びとは、ここをどのように観念していたのであろうか」

一ノ峰までまだそこそこ距離があるので、五ノ峰では休憩せずに登山道を進むことに。途中の三ノ峰にはカマボコ型の避難小屋がある。三ノ峰ではどんぐりの森から登ってくる道が合流している。そこからアップダウンを経て一ノ峰に到着。

一ノ峰に祀られた五頭龍神と観世音菩薩。遠方が霞んでいるのは残念だが、それでも素晴らしい展望を味わうことができる。

細かいことをいえば、一ノ峰は山頂ではなく、山頂はその先にある。一ノ峰から15分ほどで山頂に至り、そこから先には松平山へ向かうコースと中ノ沢キャンプ場に向かうコースがある。

一ノ峰付近から五頭山塊の最高峰である菱ガ岳(974m)を眺める。

最初に今回の旅の計画を立てたときには、交通事情を把握していなかったので、出湯温泉から五頭山に登り、一ノ峰と山頂の間の三差路から南に向かい、中ノ岳、菱ガ岳、菱見平を経由して村杉温泉に下るコースを考えていた。今度来るときにはこのコースを歩きたいと思う。

一ノ峰の頂上もそれなりにスペースはあるが、五ノ峰の方が落ち着けそうなので、五ノ峰まで戻って軽い昼食をとることにする。

新潟の温泉・霊場巡り その七につづく)

《参照/引用文献》
● 『忘れられた霊場――中世心性史の試み』中野豈任 (平凡社、1988年)

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