法性寺周辺を巡り、名越切通しを歩く――2005秋の鎌倉散歩 その二 | 楽土慢遊

法性寺周辺を巡り、名越切通しを歩く――2005秋の鎌倉散歩 その二

所在地:
[猿畠山法性寺] 神奈川県逗子市久木9-1-33
交 通:
JR横須賀線逗子駅から徒歩、鎌倉駅からバス、法性寺下車

2005年10月23日(日):晴れ:光触寺→鎌倉逗子ハイランド→法性寺→山王社→お猿畠の大切岸→名越切通し→大空洞→JR横須賀線・名越坂踏切→本覚寺→鎌倉駅→横浜駅

■ (2005秋の鎌倉散歩 その一からのつづき)「その一」では、朝比奈切通しを歩き、光触寺に参詣し、塩嘗地蔵を拝んだ。今度は光触寺から鎌倉逗子ハイランドの住宅地を突っ切って法性寺に参り、その裏手から名越切通しに入ることにする。

ハイランドの住宅地を抜けて、横須賀線の線路沿いに出て、法性寺の山門に到着。猿畠山法性寺は日蓮宗の寺院だ。

松葉ヶ谷の法難で、日蓮が念仏者たちに夜襲をかけられたときに、白い猿が現れて日蓮を安全な場所まで導いたという伝承と関わりのある寺院なので、山門の扁額にも白い猿があしらわれている。

山門をくぐって長い参道を歩いているうちに、アザミの花と蝶を目にする。蝶には詳しくないが、ベニシジミかもしれない。

長い石段を上り、奥の院に向かう。

日蓮は入滅する前に、自分の教えを継承する中心的な六人の弟子を選定した。法性寺の開山・日朗はその六老僧のひとりだ。

この山上の境内に建つ祖師堂には日蓮の坐像が安置されているという。祖師堂の扁額には、「長興 長栄 両山奥之院」と刻まれている。日朗は、日朗門流・池上門流・比企谷門流の祖とされ、長興と長栄はそれぞれ比企谷の妙本寺と池上本門寺の山号になるので、その二寺の奥の院でもあることを意味している。祖師堂の向かって右手には日朗上人の廟所が建ち、石塔が納められているという。

祖師堂の左手にある岩窟は、日蓮が白い猿に導かれた場所とされ、五輪塔が納められている。そして岩窟がある岩山の上には山王大権現を祀った山王社がある。神谷道倫の『鎌倉史跡散策(上・下)』(かまくら春秋社)では、その繋がりが以下のように説明されている。

「もともと日蓮は天台の教えを学び、その法華経第一主義は天台教学の中の法華信仰を深めたものと考えてよいだろう。天台宗の総本山の比叡山延暦寺でも修学に励んだが、その比叡山の鎮守は日吉神社(山王権現)である。日吉山王は天台宗の護法神ともいわれている。その日吉山王の使者が猿なのである。仏教の正しい教えを継ぐと自負する日蓮に、仏神(山王権現)の加護があるのは当然との考え方がこのような形で反映し、伝承化しているものと思われる。
 のちに日蓮は山王権現への報謝の念から、高弟日朗に一寺建立を命じた。しかし日朗はそれを果たさずに没したので、日朗の弟子朗慶が遺志を継いで元応二(一三二〇)年に建立したのが、猿畠山法性寺であるという。開山は日朗、開基は朗慶となっているのはそのためである」

鳥居をくぐり、石段を上り、山王社に参る。岩山の上には、五層の石塔、石祠、石碑などが建っている。

山王社の岩山から逗子の市街地を眺める。横須賀線の線路が間近に見える。

相模湾もよく見える。

今度は境内の裏手にある墓地を通って名越切通しに向かう。

墓地を進んでいくと、人工的に削られた崖が見えてくる。「お猿畠の大切岸」と呼ばれる遺構だ。

下の関連リンクに入れた逗子市のサイトの名越切通しに関する情報によれば、鎌倉時代前期の防衛遺構といわれてきたが、最近の発掘調査で石切り場の跡であることが確認されたという。

高さ3~10mにもなる切り立った人工の崖が尾根に沿って800m以上もつづく。

風化した岩に 開いた丸い穴がとても気になった。

墓地の外れ、大切岸のわきにある細い道を上っていく。道のわきにはやぐら(鎌倉に特有の横穴式の墳墓)が見られる。

道のわきにたつ石碑。左の石碑の右下の文字は「猿畠山法性寺道」と読める。

無縁諸霊之碑と刻まれた石碑が建つ平場に到着。名越切通しはこのすぐ下を通っている。切通しの両側にある平場は、監視や攻撃のために備えられたものだという。

平場から道を下っていくと、名越切通しと交差する分岐になる(※鎌倉の切通しや鎌倉七口については「その一」の冒頭で触れている)。

分岐には名越切通しの標柱が建っている。

名越切通しに入ってすぐに目につくのは、道の真ん中に置かれた大岩だ。この置石は侵入してきた人馬が駆け抜けるのを妨げるための障害物といわれる。確かに、置石と平場の組み合わせは効果を発揮しそうだ。

置石が点在するのはこの近辺で、筆者は置石の風景が気に入っているので、腰を落ち着けたくなるところだが、もう一度ここに戻ってくることになるので、先に亀ヶ岡団地方向へと切通しを歩くことにする。

道を進むと左手にまんだら堂跡に通じる石段がある。ここには規模の大きなやぐら群がある。期間限定で公開されているが、いずれ画像をアップする予定だ。

緩やかに下る切通しならではの道を進んでいく。

切通しの調査や整備が進められているためだと思うが、これまで岩を覆っていた木の枝などが切り落とされ、隠れていたやぐらが見えるようになっている。

名越切通しは朝比奈切通しほど長くはないが、切通しの雰囲気は十分に味わうことができる。

湧水でぬかるんでいる場所もあるが、それも魅力も一部なのでこのままであってほしいと思う。

両側から巨岩がせり出した大空洞と呼ばれる場所に到着。この極端に狭くなった構造を防衛遺構のように想像したくなるところだが、実際にはそうでもないらしい。先述した逗子市のサイトには以下のような記述がある。

「平成16年度、同じく第1切通部分の崩落防止工事に伴う通行路付替えに先立って、部分的な発掘調査を実施したところ、切通路のもっとも狭まった部分の幅は現在約90cmですが、かつては約270cm以上あったことがわかりました。それ以外の部分についても、現在の道幅の倍以上広かったと推定されます」

さらに詳しい情報については、下の関連リンクで直接チェックしていただければと思う。いずれにしても、この巨岩が生み出す風景には、神秘的といってもいいような魅力がある。大空洞の先はしばらく歩くと亀ヶ岡団地に出るので、引き返すことに。

置石の風景に戻ってきた。言葉で表現するのは難しいが、かつてそこに置かれた意味や人工性が次第に失われて、自然に溶け込みかけているその時間の感覚に惹かれるのかもしれない。

少し離れたところから眺めてみるのも味わいがある。

岩の上に置かれた五輪塔も自然に溶け込みつつある。

風景をたっぷり味わったので、先ほどとは反対方向に切通しを下り、横須賀線のわきの出口に向う。

眼下に横須賀線の線路が見えてくる。そんな日常との境界のような場所に首のないお地蔵さんと庚申塔がたっている。

その境界のような場所から彼方に富士山を眺める。その富士の右下に見える大屋根は日蓮宗の長勝寺の本堂だ。

まだ14:00を回ったところだったので、このあと鎌倉方面に歩き、同じく日蓮宗の本覚寺にも参詣したが、今回の散歩の目的地はふたつの切通しだったので紹介はやめておく。この日の散歩はこれで終わりだが、2005秋の鎌倉散歩はまだつづく。次は建長寺から始まる。

(2005秋の鎌倉散歩 その三はただいま準備中です。しばらくお待ちください)

《参照/引用文献》
● 『鎌倉史跡散策(上・下)』神谷道倫(かまくら春秋社)

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