雨のなか夏山登山道を行き、弥山頂上へ――伯耆大山に登る その五 | 楽土慢遊

雨のなか夏山登山道を行き、弥山頂上へ――伯耆大山に登る その五

所在地:
鳥取県西伯郡大山町
交 通:
JR山陰本線・米子駅→(大山寺行きバス54分)大山寺バス停→(徒歩約10分)夏山登山道登山口

2012年5月4日(金):雨のち曇り:吉野旅館→蓮浄院跡→阿弥陀堂→夏山登山道→6合目避難小屋→頂上避難小屋→山頂







■(伯耆大山に登る その四からのつづき)吉野旅館に泊まり、6時過ぎに起床。いつもならもっと早く起きて日の出前に出発するところだが、今日はすでに昨日から天気がよくないことがわかっていたし、長いコースでもないので、宿で朝食をいただいてから出ることにしたのだった。

窓の外を見ると案の定、雨が降っているし、ガスっていて視界もよくない。着替えと準備をすませ、食堂で朝食をいただく。テレビの天気予報をチェックすると、鳥取には強風注意報まで出ていた。食事を終え、用意していただいたお弁当を受け取り、レインウェアを着込んで出発。カメラを濡らすわけにいかないので、今日はあまり写真を撮れそうにない。

夏山登山道の登山口までは昨日歩いた道と同じ。大山寺橋を渡り、蓮浄院跡の前を通り、登山道に入って広い道を登っていく。これだけ歩いただけでもう暑くなる。ちょうど阿弥陀堂のそばだったので、軒下で長袖を一枚脱ぐことにする。そこから登山道に目をやると、明治以前にはこの阿弥陀堂の横に番人がいて上には登らせなかったという話を思い出す。

では、単なる登山ではない修行や禅定とはどのようなものだったのか。三浦秀宥の「伯耆大山縁起と諸伝承」(『仏教民俗学大系7:寺と地域社会』所収)には、江戸時代の「弥山禅定」が以下のように説明されている。

行者二人が五月朔日から六月十四日まで写経し、十四日夜、弥山(山頂)に登り、写経を埋め、池の水を汲んで十五日朝に下山することになっていた

阿弥陀堂からブナやミズナラに囲まれた道を登っていく。しばらく進むと急な登りがはじまる。土砂の流出を防ぐために階段状に設置された丸太の土留めは、地元・丹沢の大倉尾根を思い出させる。下の長袖を脱いでおいたのは正解だった。

五合目に到着。小休止してカメラを出す。好天であれば四合目を過ぎたあたりから徐々に視界が開け、このあたりでは、背後に日本海、左手に別山や三鈷峰を拝めるはずなのだが、ガスに覆われてなにも見えない。この五合目のスペースは、視界を遮る樹木もなく、展望所になっているようだが、ガスがとれる気配はまったくない。

五合目には山ノ神を祀った石祠があるので、登山の安全を祈願する。石祠も石碑も比較的新しいもののように見える。土台の石垣は古く、苔むしているので、以前はもっと古い祠が置かれていたものと思われる。

五合目から少し登ったところで、大神山神社奥宮・元谷の方からから登ってくる行者コースと合流する。下山するときにはこの分岐点から行者コースを行く予定だ。登山道はこのあたりから、土がえぐれた溝状の狭い道になる。


六合目に到着。ここにはだいぶ年季の入ったコンクリート製の避難小屋がある。なかはかなり狭く、トイレなどはない。小屋の前にはいくつか木製のベンチが設置されているので、晴天であれば景色を眺めながら休憩するのによいだろう。

小屋の外壁には「大山の頂上を保護する会」のパネルが取り付けられていて、写真とともに以下のように書かれている。「植物が姿を消し、荒れ地となっていた大山の頂上に、登山者の皆さんをはじめ、各関係機関や多くの支援団体のご理解とご協力によって、このように大切な植物がよみがえってきました。
 今後とも一木一石運動にご協力いただきますようよろしくお願いします

ちなみに、大山情報館で得られる登山・ハイキングのマップには、「一木一石運動」が以下のように説明されている。「大山の山頂に緑を取り戻すために、「一木一石運動」を行っております。登山をするときには、「石」を、リュックに忍ばせて山頂へお願いします。「石」は必ず、大山寺橋西側の南光河原駐車場にある「石置き場」から持って上がってください。山頂には「石置き場」があります。自然を愛する皆さんの力で、ぜひ大山を守ってください

この冬の大山一帯は雪が多かった。筆者は四月の頭から大山町公式観光サイトD-Clubで雪の量をチェックしていたが、四月初旬の時点では登山道のかなり下の方まで雪に覆われていた。しかし、GWが近づくに従って雪が急速に減っていき、いまではこの避難小屋わきの斜面に残る程度になっていた。

蛇籠で固定された階段状の道を登り、七合目、八合目と順調に進んできたが、その先に難関が待っていた。八合目を過ぎると、ダイセンキャラボクに覆われたなだらかな稜線に出る。

その稜線の入口付近、両側からダイセンキャラボクが迫る細い道を進んでいるときに、男性がひとりで下ってきたので挨拶すると、この先のところ、風が怖いですよと言われた。それから間もなく問題の場所に出た。左側のダイセンキャラボクが途切れ、元谷へと鋭く切れ落ちている。そこには幅が広くて頑丈な木道が渡してあるが、谷から凄まじい強風が吹き上げている。ガスと風がいっしょになっているのでその勢いがよくわかる。その風の動きが風洞実験を連想させる。

仮に吹き飛ばされたとしても、右側にはダイセンキャラボクがあるが、その向こうがどうなっているのかが見えないので安心はできない。今日は鳥取に強風注意報が出ていたことを思い出す。これはあくまで想像だが、日本海から吹き付ける風が、大山のU字型の谷に入って圧縮され、稜線に向かって吹き上げる。そのときにできる風の通り道のひとつのようだ。

ここは初めての山だし、時間もたっぷりあるので、しばらく待機して様子を見ることにする。すると後から若い男女が追いついてきたので、事情を話して道を譲ったが、彼らも待機することにしたらしい。こういう状況があり得ることは、宿のご主人にも聞いていなかった。

筆者はとりあえず誰かが下ってくるのを待っていた。木道の反対からはダイセンキャラボクの向こうが見えるので、それを確認してから進もうと思っていた。ところが、こういうときに限ってなかなか誰も下りてこない。地図を調べていた若い男性は迂回路を探すために下りていった。するとやっと木道の反対側に男性がひとり現われ、猛烈な風に煽られながら身体を縮めて用心深くこちらに渡ってきた。その人から話を聞き、大丈夫そうなので、残っている若い女性に、先に進むことを伝え、強風に煽られながらもなんとか通り抜けた。

その後はなだらかな稜線に沿って、植生を保護するために設置された木道を進んでいくだけ。但し、傾いている木道もあるので雨のなかでは注意する必要がある。道は楽になったが、気温が下がり、寒くなってきた。


山頂手前に建つ頂上避難小屋に到着。このまま山頂に行ってしまう手もあるが、手の先まで冷たくなっているし、空腹でもあったので、とりあえず小屋に立ち寄る。小屋には12、3人の登山客がいて、ウェアや頭から湯気がたちのぼっている。阿弥陀堂で脱いだ長袖を着込み、弁当のおにぎりで軽く腹ごしらえをし、山頂を拝みに小屋を出る。

とにかく寒い。小屋の周囲にはまだところどころ雪が残っている。木道をたどり、木道がひな壇のようになった山頂に到着。好天であれば大パノラマが広がっているはずだが、なにも見えず。昔はこの弥山(1709m)から剣ヶ峰(1729m)、天狗ヶ峰、三鈷峰(1516m)へと主稜線をたどり、大神山神社奥宮に下りるいわゆるお鉢めぐりができたが、現在では崩落のために登山禁止になっている。

先ほど触れたマップには、大山のこの「北壁からは毎年数千トンといわれる量の土砂、石が崩れ落ち、大山は徐々にその山容を変えています」と書かれている。

立ち止まっているとすぐに身体が冷えてくるので、避難小屋に引き返すことに。山頂から小屋は目と鼻の先のところにあるが、それでも完全に霞んでいる。

小屋で、強風の前でいっしょに立ち往生した若い男女と話をした。われわれは当初の予定では、昨日、この弥山に登り、本日、三鈷峰に登りたいと思っていたが、昨日は天候で諦めて僧兵コースをまわり、今日はどんな天候であれ登らないわけにはいかなかった。しかし、それよりもさらに運の悪い人たちがいた。ふたりは北海道から飛行機できて、天候のせいで昨日も一昨日も諦めて、他の場所をまわり、それでも天候に恵まれず、今日登ったというのだった。

伯耆大山に登る その六につづく)




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