早朝散歩と五頭山華報寺の歴史探訪――新潟の温泉・霊場巡り その八 | 楽土慢遊

早朝散歩と五頭山華報寺の歴史探訪――新潟の温泉・霊場巡り その八

所在地:
新潟県阿賀野市出湯794
交 通:
JR羽越本線・水原駅から阿賀野市営バスで25分

2015年8月13日(木):晴れときどき曇り:出湯温泉・清廣館→五頭山華報寺→清廣館









■ (新潟の温泉・霊場巡り その七からのつづき)出湯温泉の清廣館に泊まり、5:00過ぎに起床。もし本日これからバスや電車やタクシーを乗り継いで五泉市蛭野の慈光寺に向かうことになっていたら、朝から慌ただしかったはずだが、ご主人(若女将のお父さん)のご厚意のおかげで時間に余裕ができた。

6:00になったのでまたお風呂へ。ゆっくりできるのが本当にありがたい。

浴室の入口の前の窓から見た裏庭。ロビーや階段からも眺められる。

一度部屋に戻り、散歩に出ることに。誰もいないロビーを抜けて玄関へ。

外に出て、清廣館の建物を眺める。平成27年3月に国登録有形文化財に登録されている。

散歩の目的地は清廣館の目と鼻の先、泊まった部屋からも眺められた華報寺とその境内から湧きだす温泉である共同浴場・漲泉窟。五頭山を山号とする華報寺は五頭山と深く結びつき、漲泉窟は越後最古の温泉ともいわれる。「その六」では、中野豈任の『忘れられた霊場――中世心性史の試み』から、五頭山に関する記述を引用したが、ここでも華報寺に関する興味深い記述を抜き出してみたい。

「この山の登山口にあたる笹神村出湯は、湯治場として知られているが、ここにある五頭山華報寺(現在曹洞宗)は弘法大師ゆかりの寺として古くから信仰を集めてきた。五頭山信仰を背景にして成立したこの寺院は、南北朝期に編集されたという神道集にもその名が見えている。寺の建物は「寺山」と通称される山を背にして西向きに建ち、裏は墓地になっている。寺の裏手の北側にある沢が経沢、南側の沢が目洗沢と呼ばれているが、この付近からは中世の蔵骨器や石塔が出土している。さらに経沢の近くには、かつて「血ノ池(血ノ池地獄)」と呼ばれる池(湿沼)や「地獄の釜のフタ」と称される平らな大石があった。華報寺の境内には弘法大師の秘密加持によって湧出したといわれる温泉(漲泉窟)があり、湯治客や信者に利用されている。また華報寺の百メートルほど手前には、その昔参詣者が沐浴したと伝えられる大門川が参道を横切って流れ、さらに出湯の北はずれには賽ノ河原があるなど、霊場としての環境が現在も残されている」

この記述にある賽ノ河原は地図にも載っている。参道を横切る大門川は見当たらなかった。この著者は、五頭山と境内から湧きだす温泉と賽ノ河原の関係に強い関心を持ち、以下のような考察を加えている。

「たとえば、これは一つの仮定であるが、弘法大師の秘密加持の湯といわれる温泉は「精進落としの湯」として利用され、賽ノ河原のある大荒川は、五頭山の霊域と俗界を区切る、精進川の役割を果たしていた、とも考えることができる。現在、五頭山へ登る道筋としては、笹神村金屋・次郎丸・羽黒の集落を貫通して、直接出湯にいたる道路(県道)が利用されているが、かつては法華山の山際の道が利用されていた。五頭山登拝の古いコースは、この山際の道を通って羽黒の東端にある優婆尊堂付近にいたり、さらに優婆尊堂脇から賽ノ河原にいたる、野路を通って賽ノ河原にいたり、ここから五頭山へ赴いたものではなかろうか。もし、この温泉が精進落としの湯であり、大荒川が精進川であったとするなら、中世に浄土霊場として信仰を集めた五頭山信仰の下地には、山中他界の信仰があったといえるし、また浄土往登のような信仰活動の営まれていたことも考えられる。
 しかし中世および近世に行なわれた五頭山での信仰活動がどのようなものであったか、現在これを物語ってくれる資料はない。ただ、出湯からは中世の錫杖頭(銅製)と、護摩杓として使用されたと思われる銅製の小匙が発見されているから、五頭山における修験の活動は推測できる。また、近世末期には五頭山が弘法大師開創の霊場として信仰を集めていたことは事実である」

五頭山に登拝するコースによって、その山が持つ意味や世界が変わってくるところなど、非常に興味をそそられる。

さらに華報寺にも祀られ、華報寺の前から延びる県道を西に進んだところにある羽黒の優婆尊と五頭山の関係も気になる。前掲同書には以下のような記述がある。

「明治以降における五頭山登拝は、主として華法寺に祠られている優婆尊の信者によって行なわれ、現在も続いている。この優婆尊は冥府三途河の懸衣媼といわれ、この尊像を拝する者は、現世では無病息災、後生は速かに仏果を得るとされている。現在、優婆尊の講中は、新潟市の青柳講をはじめ、小泉講・大野講・三条出張所・大竹講など、約三十の講中があり、優婆尊の命日とされる二十日と、逮夜の十九日に行なわれる祈願祭(大般若の転読と信者の祈願が行われ、信者の希望があれば施餓鬼も行う)に信者が集まる。この信仰は大正から昭和初期にかけて最も盛んであったといわれ、祭りの時に神がかりになる信者のあったことを、二瓶武爾氏と藤島玄氏が報告している」

散歩では華報寺にお参りし、共同浴場・漲泉窟の建物を外から眺めただけだったが、五頭山にはまた違うコースから登りたいし、五頭温泉郷の今板温泉と村杉温泉の湯にも浸かってみたいし、清廣館にもまた泊まりたいし、賽ノ河原や優婆尊も訪ねたいと思っている。

8:00からロビーの脇の食堂で朝食をいただく。煮物、焼き物から自家製味噌の汁や梅干、使う分だけそのつど精米するという地元産有機米までおいしくいただいた。

部屋に戻ってひと休みし、ご主人の準備が整ったところでクルマに乗り込み、慈光寺に向かう。見送ってくれた若女将は、時間があったら自分が運転して行きたかったとおっしゃっていた。本当にいろいろ親切にしていただいた。

新潟の温泉・霊場巡り その九につづく)






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